大人の勉強会2024「日本のピアノ物語」8

河合滋
      

これまで、ヤマハ中心に日本のピアノづくりを見てきました。

ここからはカワイと、またヤマハ出身の天才技師、大橋幡岩が興した大橋ピアノついても触れておきます。


≪クラフトマンシップに拘ったカワイの独自性≫

カワイは世界No.2の生産台数を誇り、現在もヤマハと両雄として並び立っています。

河合小市が亡くなった後、娘婿の河合滋が社長を引き継ぎ、ヤマハの後を追うように世界に羽ばたいて行きました。

その成功の鍵は、小市のクラフトマンシップを引き継いだ丁寧な製品造りに加え、昭和三〇年代当時としては画期的な割賦販売を取り入れた点、またヤマハ同様、カワイ音楽教室の展開にありました。

昭和五五(1980)年には、最新設備による優れた生産能力を備えた上、熟練の職工による昔ながらの手作り工程「原器工程」を機能させた、当時の国内最大規模のカワイ竜洋工場を建設。

同じ年に「フルコンサートピアノEX」は世界で最も権威のある、ショパン国際ピアノコンクール公式ピアノに認定されました。名実ともに頂点へと登り詰めたカワイでした。

また、平成十一(1999)年、世界一のピアノを作りたいという河合小市の思いを引き継ぎ、直向きに邁進した滋の名を冠したカワイの最上位ブランド「Shigeru Kawaiグランドピアノ」が誕生しました。最高品質の素材が使用され、カワイの匠が凝縮された今も進化を続けるモデルです。


私が演奏活動を続けている横浜市イギリス館には、このShigeru Kawaiが設置されており、年々音色が進化する様を楽しみながら、弾かせていただいています。



≪大橋ピアノ≫

技術者として、小市の元で厳しく仕込まれた大橋幡岩(はたいわ)は、日本楽器が量産体制に移る節目に、自身の理想を叶えることを志し、中小メーカーの小野ピアノに移籍。ディアパソンという名器を生み出します。

しかし経営が悪化、その後の昭和三三(1958)年、大橋ピアノ研究所を設立し、自身のブランド「OHHASHI」を立ち上げ、手作業による丁寧な楽器づくりを行います。

しかし昭和五五(1980)年に幡岩が、跡を継いでいた息子の巌も平成七(1995)年に相次いで亡くなり、大橋ピアノは自主廃業を余儀なくされます。

その後は巌夫人が、残った職人さんとともに注文分を仕上げ、お客様に引渡して工場を閉じます。

その最後の日々を追ったNHKの番組がありますので、ご紹介します。


https://youtu.be/o-9hM0Cu_0g?feature=shared

音いつまでも/新日本探訪


「OHHASHI」は幡岩が理想を追い求め、作り上げた名器で、和製ベヒシュタインとも呼ばれていました。


そして先のタローネの工房も、氏が亡くなったことで廃業の道を辿ります。

ショパン国際ピアノコンクール公式ピアノの中でも後発のメーカー「FAZIOLI」は、タローネの工房の職人を受け入れ、タローネのノウハウを引き継いで成長したようです。短期間の成功は、もともと家具メーカーとしての土台があってのことと言えましょう。


かつて杵淵直知が吐露した「資本力がなければ成り立たない」、ピアノという楽器製造業の難しさが実感できます。


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