大人の勉強会2024「日本のピアノ物語」3

 

山葉寅楠

≪山葉寅楠≫

寅楠は紀州藩下級武士の三男として生まれました。小野一刀流の達人で、朝廷側に寝返った藩の思惑を知らず、血気盛んな若気の至りで、旧幕府側について戦ったことが、父の藩内での立場を脅かし、勘当されてしまうのです。

父は万能な技師として、藩内でも一目置かれる人物でした。その血を受け継いで機械弄りが得意だった寅楠は、やがて大阪に出て時計職人を志します。

商魂逞しい寅楠は、いつまでも時計修理しかさせてもらえないままでは埒があかないと、長崎のイギリス人の工房に潜り込み、時計作りのノウハウに加え、商売のイロハも学び、再び大阪に舞い戻りますがいかんせん資金がありません。

資金集めのため、器械や器具の修理全般を請け負う「渡り職人」となりますが、思うように稼げません。

活路を見いだすように東京に出ますが、大都会の風は冷たく、逃げるように東海道を西へ。その道すがら、かつて仕事を請け負った繋がりで依頼された、浜松の病院の器具の修理に立ち寄ったのでした。

この病院の院長と意気投合し、地元の有力者からも可愛がられ、一年余りを同地で過ごしていたその矢先、オルガン修理の話が舞い込んで来たのです。


オルガンの内部を点検し、すぐに故障原因(埃がリード部分にたまり、それがもとでスプリングが故障)を突き止めた寅楠は、オルガンの機構が意外に単純であることに気がつきます。さらにこれが四五円もすると聞くと、「自分なら三円で作ることが出来る。オルガンの部品の寸法を測らせてもらえないだろうか」と唱歌科の先生の自宅を訪ねて頼み込みます。

寅楠のアンテナがビビビと触れた瞬間でした。


寅楠は早速試作品に取り掛かります。以前からの仕事仲間であった飾り職人、河合喜三郎をパートナーに、河合の家の物置で寝食を惜しんで励みます。男たちの興奮を横目に、喜三郎の妻はハラハラし通しです。ご近所さんも「あんなどこの馬の骨かもわからない流れ者には気をつけたほうがいい」と冷ややかです。


そんな中、ようやく試作品第一号を完成させ、学校の校長、唱歌科の先生に感想を求めます。なんとなく格好はオルガンらしくはあるものの、音律が本物とはまるで違っていました。そこまでは分かるのですが、先生たちもどこをどうすればよいかまでは、知識不足でなんとも言えません。

寅楠はなんとかしたい一心で、静岡県令(県知事)の元に持ち込みます。すると「お前は偉い。だがここでは売れぬから」と東京の井沢修二に見てもらうよう取り計らってくれたのです。


寅楠と喜三郎は意気揚々、天秤棒でオルガンを担ぎ東京までえっちらおっちら、まるで駕籠かきのように東海道を東へ東へ。250キロの道のりです。途中、箱根の山も越えなければなりません。本当に当時の人の胆力には驚くほかありません。


音楽取調係の井沢は、ようやく到着した薄汚れた姿の二人を快く迎え、早速オルガンに詳しい教師に審査を託しますが、結果は厳しいものでした。

寅楠には西洋の音楽の「平均律」が理解できないため、ドレミファソラシドが全く正しく無かったのです。これはリードをはじめ、中の部品を根本から見直す必要がありました。


意気消沈の寅楠でしたが、そこで諦めないのが彼の凄いところでした。喜三郎を浜松に帰らせ、自分は東京に残り、井沢に頼み込んで音楽学校の授業を聴講させてもらうことになります。

もう自分には後がない、オンガンに賭けるほかないのだ、とそのときすでに30代後半の寅楠は必死だったことでしょう。


調律法や、なんとか最低限の音楽の基礎知識を詰め込んで、ひと月程で浜松に駆け戻り、試作品第二号を完成させ井沢の元へ。めでたく井沢から合格のお墨付きをもらうことになります。

そればかりか、教材、楽器などを扱い文部省と深い関わりの共益商社、さらには関西以西に同様の商売を展開する三木佐助書店にオルガンの販路を確保してくれたのです。

いよいよ寅楠の大逆転人生が始まりました。


寅楠が修理したオルガン(同型)


箱根越えのリレーフ

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